戦後の物質的窮乏と精神的混迷の中に誕生した新制中学校は、不十分な施設・設備の中で、
教育内容を模索するとともに、一方においては従来の小学校高等科制度の延長を断絶して、
新しい中学校、自分たちの学校として意識づけるためにも、校章、校旗、校歌等の制定は
外側からの意識づけとして当時、各校が競って真剣に考えた。本校も当時の第一人者に懇願し制定した。
さいわいにして、自然環境に恵まれた当学区に作者が足を運び、海原越しの富士を含む伊豆の山々、
夕焼けのシルエット。海にむかって細長く突き出した海触台地の岩山、特有の黒っぽい凝灰者けつがんそうと
白い頁岩層(けつがんそう)のコントラスト。その絶景の中で育つ誇りをこめて作られた。
長井中学校 校歌
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真澄はるかに 海原越えて
富士がほほえむ希望の朝よ
潮は満潮 われら はつらつ
この窓明るく 花いまひらく
長井中学 われらが母校
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かもめ群れたつ 荒崎沖に
かすむ大船 世界に通う
交わす友情 清くはるかに
この意気 日本の文化を築く
長井中学 われらが誇り
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うたう松風 さえずるひばり
光あふれて 明るむ麦よ
夢もゆたかにわれらのびゆく
この丘 自律の 心の故郷
長井中学 栄ある母校