2022年 2月 4日 (金曜日)

.学校: 今日は,道徳科

 先週に引き続き,今日もバッターボックスに立ちました。対戦相手?は道徳科。ぶっつけ本番の授業を前に,ワタシなりの教材研究をしました。もっとも,小学校の,比較的経験が浅い先生がする授業も,ほぼもれなくぶっつけ本番なのだけど。
 道徳科の教材研究はアナリーゼに似てるかもしれない,と,かねてから思っていました。特に自分がプレイヤーではなくて,指揮者を務めるときのアナリーゼに,似ています。
 道徳科の授業は多くの場合,次のような要素で成り立っています。その順序性はともかく,このようなもの。

大もとになる主題(学習指導要領が示す22の「内容項目」といわれるもの)
教科書掲載の「教材」とそのねらい
児童(集団)の実態(発達の段階や既習事項,その時の学級の状態など)

 ,鉢△亙現顱淵謄スト)の形ですでにあるので,授業者は最低でもこの2つと,関連する内容項目に係る資料に,往還しながら目を通す必要があります。その上でつまり,自分の学級の子供たちの顔を想い浮かべながら授業の展開の仕方を考えます。もちろんを前提に,鉢△謀たるケースもあります。この,の要素がとても大切で,道徳科の授業は学級担任の先生がするのがベスト!と言われる所以でもあります。
 こういう,複数の様ざまな資料に当たりながら教材研究を進める作業が,音楽でいうところのアナリーゼ(楽曲分析)に似ているよな……と思ったわけです。

 最近(道徳が‟特別の教科”になってから)の教科書は,ずいぶんと懇切丁寧にあれもこれもと,子供向けに解説してくれ過ぎちゃってて,オモシロくもなんともないんだよな(ここは寅さん風に),授業者として工夫する余地が少なくなちゃってるよなぁブツブツ……。とかなんとか教育委員会が採択した教科書に,心の中でツッコミを入れながら進めるアナリーゼは,それでも大変エキサイティングなものでした。
 これを私は“道徳ハイ”と呼んでいます。このことを,ある著名な道徳の研究者に言ったら,「人間はね,自分たち人間自身について深く考えているときが,一番頭の中がぐるぐる回っている。だからハイになるのだよ」と,そういうことらしいです。なるほど。

 肝心の授業の方はというと……。
 本時のお題は「いただきます」。大人にとってはおなじみの,ご飯食べるときに言う「いただきます」にはどんな意味があるの?から始まって,命の尊さを学ぶ,みたいな内容です。教科書にはこれがそのココロの部分まで示されてしまっています。多忙な先生たちが日々の授業を“こなす”ためには,このくらい懇切丁寧じゃないとダメなのかも,と思いますが……。
 これをそのまま伝えても,ただの「お知らせ道徳」とか「お伝え道徳」とか,これまたオモシロくもなんともない「おしつけ道徳」(ハナ肇とクレイジーキャッツ「学生節」3番 参‟聴”のこと)で終わってしまいます。なので,ちょっとアプローチの仕方を変えて,子供たちが多面的・多角的に考える余地をつくってみました。
 観光牧場の牛さんたちは「かわいい」のに,すき焼きの牛肉は「おいしい」。どこまでが「かわい」くてどこからが「おいしい」になるの? 水族館で泳いでいるアジやイワシの群れは「きれい」だなと思って観るのに,お魚屋さんの魚は「おいしく」見えるけど,どうよ。どちらも「元気のもと」には変わりないわけなんだけど,どうなのよ,なんてことをちょっと問いかけてみたりして……。

 児童の皆さん,前回同様,飛び込みの授業者をとても気持ちよく受け入れてくれました。そしてたくさんの鋭く,貴重な考えを聞かせてくれました。
 授業後も,ハイな状態が続いています。しばらく続くと思います。

●「学生節」歌詞
 https://www.uta-net.com/song/142333/

●前回の補欠レポート〜読書編
https://schoolnet.edu.city.yokosuka.kanagawa.jp/schoolnet/ictea-gw/modules/ictea_jblog/index.php?smode=Monthly&action=View&event_id=43278&caldate=2022-1-31&schid=32&block=0

 
掲示者: 10時52分