2020年 9月 29日 (火曜日)

.学校: コロナ禍下の半年をふり返って

 本校では,授業の進み具合に合わせて本来の意味の学期(=学習活動の区切り)を設定し直し,10月末までを前期相当とします。とはいうものの,春の臨時休業入りから概ね半年が過ぎました。この節目に,この7か月をふり返ってみました。
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● 実態に合わせて「実(じつ)」を取る
 本校では“コロナ禍”対応をするに当たって常に意を用いていたことがあります。対応に当たってはムダ,ムラ,ムリを排して柔軟に考え“実”を取るということです。とはいっても,初めから確信をもって,そういう方針を打ち立てていたわけではありません。行政からの急な要請や指示を受けて少しばかり慌ててしまった局面もありました。
 そんな中にありながらも,概ね落ち着いた対応ができたのは,むしろ,コロナ禍以前までに積み上げてきた学校運営上の考え方(カリキュラム・マネジメントと一体化した働き方改革)があって,それをベースにして,不測の事態に対応することができていたからかも知れません。図らずも,コロナ禍という“黒船”との遭遇が,懸案であった教育活動の改善を加速させることになりました。
 冒頭で触れた「学期」のとらえ方や運動会等,年間計画の大枠にかかわることをはじめ,授業の一単位時間の柔軟な設定(40-45分)等,日々の生活の細々したことに至るまで,職員全員があれこれ知恵を絞りながら検討を進め,対応してきました。

● 保護者,地域の皆様のご理解に感謝
 6月の学校再開に当たって教育行政は「ゼロリスクは困難」であるという前提を示していました。また,児童を登校させて教育活動を進めるからには,感染リスクを100%回避することはできない,でも,第一に守るべきは人命であり,できる限りの感染防止策を講じて日々の指導に当たらなければならない,とも。
 この最優先課題を達成しつつ,“実”を取る形で教育活動を円滑に進める上で,大変有り難く思っていたことがあります。保護者や地域の皆様のご理解とご協力です。
 コロナ禍にいたずらに不安を覚え過敏になってしまい,「ゼロリスク」を求める声が多くあがると,勢い,学校の教育活動は委縮してしまいします。消毒作業などの感染防止策に費やす時間と労力が過度に増えれば,教員の本来業務である授業準備等を圧迫します。8月半ばに話題になったような,“「#先生死ぬかも」というハッシュタグのTwitterトレンド入り”,のような事態も招きかねません。
 このようなこともなく,本校の教育活動を落ち着いて見守り,支えてくださったことに,この場をお借りして改めてお礼を申し上げます。

● コロナ禍を乗り切るための支柱
 コロナ禍対応を進めるうえでいくつか参考にした言説があります。いずれも,「学校の新しい生活様式」や「コロナいじめ・差別の防止」について多くの示唆を含むものです。いくつか引用します。
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『CP定着に警戒』 斎藤 環(筑波大・精神科医)6/1付 読売新聞 他
 “CP”というのは「コロナ・ピューリタニズム」のこと。臨時休業のさなか,5月ごろに顕著だった「自粛警察」のような動きを見て,禁欲的なピューリタニズム(清教徒主義)を連想した斎藤氏が名付けたものです。氏によれば……
清潔主義が道徳と結びつくような現象が,特に日本ではエスカレートしやすい。同調圧力の下で誰かを罰したくなる
 ……ということです。これを学校に当てはめてみると,白黒をはっきりさせ過ぎることが,そこから“はずれて”しまう児童を浮き立たせ,差別やいじめを誘発してしまう,ということが懸念されます。職員にはこの言説に基づいてこんなことを伝えました。「だから……,神経質になりすぎて過度な指導をすることがないように,あるいは知らず知らずのうちにそう促してしまう(ヒドゥンカリキュラムの形成)ことのないように……注意しましょう」

『「学校の新しい生活様式」を作り直す−過剰な「感染症対策」で疲弊する前に』
磯野真穂(医療人類学者) 『教職研修』9月号
 まずは磯野氏,行政が進める「新しい生活様式」への違和感からこう断じています……
ある方向から「命」を守ろうとしても,それが副次的に「命」を大切にしない効果をもたらしている
 コロナ禍に直面した日本の人々の慎ましい対応を評価しつつも,全体主義的な怖さにも言及する中で,学校はどうあるべきか……
学校という場の重要な役割は「余白」をつくり出すこと
 それを踏まえると……
私語を慎むようにといった感染症対策は,学校という場の最大の強みを奪い去っているように見えてしまう
 学校の先生たちへのメッセージを……
(感染症対策ですり減ってしまう)先生方の消耗は,おのずから子供たちに影響を与える
先生方にはぜひ,学校の「余白」を,それぞれの役割と立場から守り抜いていただきたい
 本校職員の感覚もほぼこれに沿うものでした。その後ろ盾をいただけたようで大変心強く思いました。

『「コロナいじめ・差別」の社会心理−なぜ,人は「われわれ」と「彼ら」をつくるのか?』
北村英哉(東洋大・社会心理学者)
『教職研修』10月号
 偏見や差別をひき起こすメカニズムについて詳説しながら,学校教育に視点を移す形でインタビューに答えています。「いじめはいけないこと」「差別はダメだ」と教えるだけでは100%の解決にはならない,とした上で……
心理学の知見からいえば,子供はむしろ“意図的”に教えられることよりも,「大人の振る舞い」から多くを学んでいる
 児童同士のいさかいの仲裁方法はどうか,えこひいきはないか,大人同士がいがみ合っていないか,大人がいじめをしていないか。私たちの悪気ない行動こそが「象徴的排除」につながっているかもしれない……,そんな自問と自省をし続けることが大切だ,ということです。
 市内の学校から感染児童が出始めた夏休み前後,教育委員会はその都度「プライバシー保護」や「人権尊重」に係るメッセージを発信しました。こうした“意図的”な働きかけもさることながら,日々の,われわれ「大人の振る舞い」にこそ目を向ける必要がある。北村氏の言説からは,そんな示唆をいただくことができました。
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 コロナ禍下,まだまだ先の見えない日々が続きそうですが,どのような状況に直面しても,適切な対応ができるよう,努めてまいります。


掲示者: 16時16分