1960年(昭和35年) 児童数1,186名 |
1960年4月1日開校(1960年11月11日創立記念日) |
旧兵舎を使用した木造の校舎でした。11月11日、校庭にて創立記念式典を行いました。 久里浜地区はその年、横須賀火力発電所が久里浜9丁目で送電を開始し、久里浜港と金谷港を結ぶ東京湾フェリーが開通しました。 また翌年はニチロ久里浜総合食品工場も完成し、久里浜の街全体が新たに変わろうとしていました。 1961年、さっそく「環境美化優良校」として、県より表彰されました。1962年には学級園づくりがはじまり、また「物を見る目を育てる」というテーマで、理科の教育研究発表会も開催されています。 |
1964年(昭和39年) 児童数 965名 |
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創立5周年(校歌制定)
創立5周年に校歌制定の準備が整いました。作曲を湯山昭先生、作詞を中村千栄子先生に依頼し、1964年12月に来校され、1965年3月3日に完成、創立5周年記念事業の発表会でお披露目しました。
1966年に体育館が完成し、校舎も着々と新調されます。1967年には湘南ハイランド団地、68年には久里浜工業団地の造成が始まり、ますます久里浜地区の人口は増加していくのでした 。 |
1969年(昭和44年) 児童数1,093名 |
創立10周年を記念し、校旗が作られました。
また全教室にテレビが設置されました。 |
1971年 (昭和46年) 児童数1,272名 |
第1期工事 鉄筋3階建て1棟新設(B棟の9教室)
佐原地区に「ガーデンライフ」の造成が始まりました。校舎も児童の増加に伴い、鉄筋コンクリート3階建ての校舎が第1期、第2期に分けて完成し、現在のB棟が完成しました。1973年に、A棟も全鉄筋化が完了し、B棟も増築されました。 また市の緑化計画にもとづいて、大島ざくらなど30本の植樹も行なわれました。 学校も算数の研究発表会「集合・関数の考え方を取り入れた授業」や、「視聴覚教材教具を生かした学習指導方法」の研究などを進めていきます |
1973年 (昭和48年) 児童数1,360名 |
粟田小学校が開校し、ハイランド内の久村番地の児童が、
粟田小学校へ転籍しました。 |
1974年 (昭和49年) 児童数1,223名 |
岩戸小学校が開校し、岩戸地区の児童が、岩戸小学校へ転籍しました。 |
ハイランドや遠く岩戸からも明浜小学校に通っ
てきましたが、新しい学校に分離が続きました。 この年に卒業した1974年度卒業生から、観察池が寄贈されました。今でも池の鯉や、亀の「ダニエル」(理科委員会児童が投票から命名)がのんびりと子どもたちと楽しく暮らしています。 現在は理科委員会の児童が毎月清掃を行い、また不定期にPTAの「おやじの会」の方にも徹底清掃を行っていただいているおかげで、古いながらも愛される池として、明浜小学校を作ってくれています。 |
1977年 (昭和52年) 児童数1,270名 |
給食室が新築され、またB棟2階・3階に資料室・配膳室が増築されました。 |
1978年 (昭和53年) 児童数1,325名 |
B棟東昇降口・A棟昇降口が増築され、体育館前渡り廊下や砂場も完成しました。 |
1979年 (昭和54年) 児童数1,291名 |
創立20周年記念行事が開催され、「明小大好き」が作られました。 |
創立20周年を記念し、児童から募集した歌詞と曲を元に、「いつも前向きで主体的な子どもに育ってほしい」という願いを込めて作られました。 歌詞の中の「トランポリン」は今の学校にはありません。不思議に思われるのですが、当時かもめ学級との交流の中で、順番に使わせてもらったことから入ったということです。 現在では手話をつけて歌っています。2年生が入学式で、1年生に歌うのが恒例になっています。
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神明小学校が開校し、久里浜2・3丁目の児童が 神明小学校へ転籍しました。 また同時に、久里浜7・8・9丁目の児童は、 久里浜小学校から明浜小学校へ、学区が変更されました。 |
1980年 (昭和55年) 児童数1,264名 |
第4期工事 家庭科室、音楽室、特別教室、渡り廊下が完成しました。
初代のアスレチックも完成しました。 |
1981年 (昭和56年) 児童数1,251名 |
第4期工事(かもめ教室・家庭科室・音楽室)が完成し、今の校舎ができあがりました。
各教室が、カラーテレビになりました。 |
1983年 (昭和58年) 児童数1,197名 |
明浜山("つきやま")を現在地に移転しました。 |
1984年 (昭和59年) 児童数1,137名 |
創立25周年行事が行なわれました。 |
1985年(昭和60年) 児童数1,109名 |
中庭に「流れる小川」が完成しました。また、運動場・体育館を改修しました。
創立25周年記念に、改修された校庭で、風船1100個を飛ばしてお祝いしました! |
1986年 (昭和61年) 児童数1,102名 |
ハイネス(1981年)やガーデンライフ一区(1984年)が完成し、また日本ビクター横須賀工場の操業開始(1982年)など住宅地・工業地区としてもますます発展が進みました。、南部処理工場や南体育館(1983年)、南部図書館(1985年)に温水プール(1986年)の公共施設も開設されました。 そして久里浜最大の名所「花の国」が開園し(1984年)、京急久里浜駅も駅ビル化(1987年)し、観光面でもますますにぎやかになっていく久里浜の街です。 学校も「子どもが進んで取り組む体育授業」「児童が進んで取り組む社会科授業」などの研究も進み、また「ことばの教室」(難聴、言語障害特別支援学級)も別棟として新たに開設されました。 |
校庭整備が完了しました。校庭に的当て板が設置されました。 ことばの教室が開級しました。
また給食室に「回転釜」が設置されました。
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1988年 (昭和63年) 児童数1,062名 |
焼窯庫設置されました。 |
1989年 (平成1年) 児童数1,039名 |
視聴覚室、第2理科室改修が改修、完成しました。 |
1990年 (平成2年) 児童数1,040名 |
創立30周年記念式典を行ないました。 また1年生のアサガオ置き花壇も設置されました。 |
1993年 (平成5年) 児童数1,070名 |
新しいアスレチックが完成しました。
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1994年 (平成6年) 児童数1,100名 |
体育館屋根を大改修しました。 |
1996年 (平成8年) 児童数1,047名 |
B棟トイレ改修しました。 |
2000年 (平成11年) 児童数 989名 |
創立40周年
21世紀を迎えると、久里浜地区も新たな街づくりがされ、発電所や食品工場中心からから、大型商業施設が進出してくる街になりました。児童数は1000人をきるようになりましたが、それでも市内有数の大型校としてたくさんの児童が学んでいます。 遊具も新たに新設・補強を行ない、また「楽しく学ぶ授業の創造」として、広い校庭を生かした体育の授業研究が2005年から2008年まで行なわれました。
2001年に、視聴覚室がパソコン室に改修され、情報教育が充実していきます。 |
給食に磁器の食器が導入されました。 |
2004年 (平成16年) 児童数 940名 |
すべり台・丸太遊具を新設しました。 |