1949年(昭和24年) |
商業高校が久里浜に移転し、その跡地に公郷小学校が作られました。それ以前は、この学区の児童は山崎小学校・衣笠小学校・鶴久保小学校の3校に通っていました。 |
1950年(昭和25年) |
公郷の公の字を三つ組み合わせ、中央に横須賀の頭文字「Y」をおいた図案の校章が決まりました。これには、衣笠・鶴久保・山崎の3校から集まった仲間たちが一つになってがんばっていこうという願いが込められています。
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1954年(昭和29年) |
校歌が作られました。
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公郷小学校校歌 |
作詞
作曲 |
サトウ ハチロー
中田 喜直 |
1. |
かなの一つも 一・二のかずも
何も知らずに このまなびやへ
おお あの春よ 明るいあの朝よ
肩をかすめて つばめがとんだ
公郷 公郷 なつかし母校
おお 公郷 公郷 ゆりかご母校 |
2. |
土にからすと書いてはおどり
石に すずめと しるしてはねた
おお あの道よ 覚えたあの文字よ
草よ話せよ 木の葉よ語れ
公郷 公郷 楽しき母校
おお 公郷 公郷 幸ある母校 |
3. |
さそい合わせて 仲よく通い
泣けばなぐさめ はげまし学ぶ
おお あの顔よ 元気なあの友よ
かたい約束 破らぬちかい
公郷 公郷 夢みる母校
おお 公郷 公郷 輝く母校 |
4. |
ひばりつゆ草 とび魚 蝶々
虫もさかなも 小鳥も花も
おお あの昼よ みちびくあの声よ
胸にあふれる 思い出楽し
公郷 公郷 やさしき母校
おお 公郷 公郷 栄えある母校 |
5. |
誰かつぶやく 十年の後に
ここに集まり この日のように
おお この窓よ 忘れぬこの歌よ
声を合わせて も一度歌おう
公郷 公郷 ふるさと母校
おお 公郷 公郷 心の母校 |
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1955年(昭和30年) |
学区が住宅地として発展するのに従って、児童数が増え、教室も足りなくなりました。ひとクラス55人くらい、低学年では二部授業。そこで、2階建て新校舎と北門が作られました。
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1959年(昭和34年) |
児童の数がますます増えてきたので、新校舎第2校舎4教室が完成しました。 |
1969年(昭和44年) |
公郷6丁目に団地ができ、児童数は増える一方なので森崎団地に分校ができました。
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1970年(昭和45年) |
分校が森崎小学校として独立しました。
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1974年(昭和49年) |
現在3棟の位置に鉄筋3階9教室と2棟の位置に鉄筋4階16教室と給食室が完成しました。翌年3月までに古い木造校舎をこわし、これで創立の時の建物はすべてなくなりました。
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1976年(昭和51年) |
プールが完成しました。
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1989年(平成1年) |
体育館の全面改築が行われ、夢広場が完成しました。
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1993年(平成5年) |
第2校舎4階に家庭科被服室が作られました。 飼育小屋も作られました。
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1997年(平成9年) |
ノート型パソコン(児童用)が10台はいりました。
第1音楽室にアンサンブルオルガンが入りました。
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1998年(平成10年) |
ノート型パソコン(児童用)が30台になりました。
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1999年(平成11年) |
創立50周年をむかえました。そのときに児童から募集し、作られた記念の歌です。
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おめでとう公郷小(50周年の歌) |
1. |
公郷小学校は 五十才
広い校庭 大きな校舎
友だちたくさん うれしいな
ぎんなん祭りに パビリオン
楽しいことも いっぱいだ
おめでとう みんなの公郷小学校
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2. |
公郷小学校は 五十年
いろんな事を 見てきたよ
田んぼに ザリガニいたことも
カエルガ鳴いていたことも
だんだん変わっていく町を
ありがとう みんなの公郷小
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3. |
公郷小学校は 五十歳
いくつになっても 変わらずに
ずうっと このままたっててね
みんなもいっしょに がんばろう
おめでとう みんなの公郷小学校
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2000年(平成12年) |