2019年 5月 10日 (金曜日)

.学校: たかが水筒、されど水筒 問題

注文の多いお知らせ!?
 4月26日付で印刷媒体のお知らせ『学校への「水筒持ち込み」について』を配布しました。社会通念や各校の動向を鑑み、今年度から水筒の中身には“「お茶」も可”としました。
 昨年度から継続して在学しておられる方は、このことに気づかれたかと思います。また、初めて手にされた方はもしかしたら(ずいぶんと“断り書き”や“注意事項”が多いお知らせだな…)と、そちらに違和感を覚えたかもしれません。
 これまで中身がなぜ、「水」限定で、“注意事項”がなぜ、ここまで多くなったのか……それにはちょっとした経緯がありました。

水道から水筒へ
 熱中症対策として、学校が水筒の活用を奨励し始めたのは10年ほど前のことになります。「学校が」と書きましたが、これを主導したのは実は教育委員会でした。
 それまで教育委員会は学校の水道水の安全性を十分に確保したうえで、飲用、給水には水道を使用させるよう指導していました。ところが熱中症が社会問題化したことを受けて、新たな方針に転換する必要に迫られました。その結果、通学途中等の給水を想定して、水筒の持参や活用を奨励する指導に切り替えたのです。
 それまで、水筒の持ち込みを認めず、「水道水を飲みなさい」という指導を徹底していた学校は、ハシゴを外されたような形になり困惑しました。水筒の解禁に伴って様々な心配事が想定されたからです。何よりもまず児童の健康や安全を第一に考えなければならず、併せてそれまでの指導との整合も図らなければなりません。
 その結果、落としどころとして考えたのが、「水筒は水道の代わり」なのだから、中身は「水」に限定しよう、そうすれば有機物も含まないから衛生上も問題を低く抑えられるだろう、ということでした。ほかにもさまざま想定されるリスクの回避を勘案した結果、このようなお知らせが出来上がったわけです。

“自己責任”を働かせて機動性を高く
 15年ほど前、文科省の仕事でヨーロッパの公立学校を視察する機会を得ました。知識としては蓄えていたつもりが、文化圏が異なるとこうも違うのかということのオンパレードで、大変良い勉強になりました。
 中でも印象的だったのが、“自己責任”という考え方の徹底ぶりでした。子どもたちを学校に送り出す家庭と学校が、お互いに自立しそれぞれの責任を果たしており、その関係の中で日々の学校教育が成り立っていたのです。
 “水筒問題”の顛末を振り返ったとき、この「自己責任」という4文字熟語がまず頭に浮かびました。日本社会的な、ある種温かみのある関係性を大切にしながらも、自己責任の考え方を浸透させて、学校教育を“注意事項”や‟決まり事”の少ない小回りの利くものにしてくためにはどうしたらよいか……。
 「社会に開かれた教育課程」の実現が喧伝される中、学校や子供たちは、これまで以上に“非学校社会”の価値観や秩序と遭遇したり対峙したりしていくことになります。まずは子供たちに、自らリスク管理する力を身に付けさせることから、この課題に取り組んでいきたいと思います。

★↓「間違い」が起こらないよう教室ではまとめて管理。

 
掲示者: 11時42分