大津小学校
大津で最初に勉強する場所ができたのは今の諏訪神社でした。読み書き、そろばんを勉強しました。
1873年(明治6)年
信誠寺(しんじょうじ) の庫裏(くり)で勉強が始まりました。これが大津小学校の前身です。
1877年(明治10)年
寄付金1,500円を集めて現在の場所に木造校舎を新築し、5月28日に開校しました。この日は、創立記念日として、今でも学校の祝日になっています。同時に村役場も同じ校舎内に置かれました。校長先生ともう一人の先生がいて、子どもの数は、78人でした。
1887年(明治20)年
子どもの数が257人になり、校舎が次々に増築されました。この時代は、義務教育といいながら授業料(20〜40銭)が必要でした。子どもの服装は、ふだんは男女とも着物でした。式の時などは、羽織を着たり、袴をつけたりしました。履き物は、下駄か草履でしたが、中には、裸足の人もいたようです。
1923年(大正12)年
大きな地震(関東大震災)があり、校舎の屋根が蛇のようにうねり、かわらがずり落ちて、校舎が土けむりをあげて崩れ落ちました。子どもたちは、2学期の始業式が終わって下校した後でした。
1933年(昭和8)年
子どもの数が1,000人を超し、2階建ての木造校舎に建て替えました。このころのクラスは、男子組・女子組に分かれていて、一緒に遊んだりすることはできませんでした。
1944年(昭和19)年
戦争が激しくなって、市の命令で3年生以上の子どもは、そかいすることになりました。田舎に親戚のない子は、神奈川県愛甲郡依知村(あいこうぐんえちむら)に集団そかいしました。そかい地では十分な食べ物がなく、子どもたちはいつもおなかをすかしていました。風呂は大勢の人が入るので汚れがひどく、皮膚病になったり、しらみがついたりしました。それでも、一番つらかったのは、家族と離れて暮らしたことでした。
1947年(昭和22)年
六三制が始まり、今のように男女一緒に同じ勉強ができるようになりました。勉強の仕方も内容も変わりました。また、みそ汁・雑炊・脱脂粉乳の学校給食が始まりました。
1951年(昭和26)年
パン・おかず・脱脂粉乳の完全給食になりました。
子どもの数が、1,700人を超えて教室が狭くなったので、馬堀小学校ができ分離独立しました。
1956年(昭和31)年
学校文集「くすのき」を創刊しました。 今も続いています。
1964年(昭和39)年
それまで、校旗の歌や応援歌はありましたが、校歌がなかったので、大津小学校の伝統や、まわりの自然の様子、子どもたちの様子などをもとにして、校歌を作りました。
1968年(昭和43)年
木造校舎が古くなり、危険だった上に、校庭が校舎にロの字型に囲まれて大変狭かったので、鉄筋校舎に建て替えました。
1980年(昭和55)年
子どもの数が1,300人を超えて教室が狭くなったので、根岸小学校ができ分離独立しました。
1995年(平成7)年
集合住宅団地「四季の町」ができて、たくさんの転入生がありました。
1997年(平成9)年
633人の子どもたちとともに、創立120周年を迎えました。