明治のはじめ、大矢部には学校がなく6才〜12才までの子どもは、満昌寺の寺子屋に読み・書き・そろばんを学びに行っていました。
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1872年(明治5年) |
全国に小学校を作ることが決まりました。
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1873年(明治6年) |
衣笠地区には、満昌寺に大矢部学舎、大明寺に金谷学舎の2つの学校が生まれました。
大矢部学舎は4つの村(大矢部・衣笠・森崎・小矢部)から48名が通い、先生はただ一人でした。学校は上等(10才〜13才)・下等(6才〜9才)の2つに分かれ、それぞれ8級あり、6ヶ月ごとに進級試験がありました。下等の第8級(6才)の学習は、読物・算術・習字・書取・問答・復唱・体操・暗唱でした。
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1891年(明治24年) |
尋常大矢部小学校と名前が変わりました。
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1896年(明治29年) |
尋常大矢部小学校から、尋常南衣笠小学校に名前がかわりました。尋常小学校では一日5時間の授業があり、学習は、修身・読書・作文・習字・算術・唱歌がありました。
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1900年(明治33年) |
尋常小学校は4年、高等小学校は2年となりました。
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1907年(明治40年) |
尋常小学校は6年となり、卒業したら、働くことができました。
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1908年(明治41年) |
村にあった、2つの尋常小学校は一つにまとまり、傾城ケ原(今の衣笠小のある所)に衣笠村立尋常小学校が生まれました。大矢部から学校はなくなりました。
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1923年(大正12年) |
衣笠尋常高等小学校と名前が変わり、洋服をきるものはなく、着物にぞうりでした。
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現在の大矢部小学校誕生 |
1980年(昭和55年) |
地域の人々の願いから、大矢部、高部の丘に大矢部小学校が開校、大矢部、佐原地区の子ども達は、今まで通っていた衣笠小学校、岩戸小学校、森崎小学校、明浜小学校の多くの友だちと別れて、大矢部小学校へ通うことになりました。児童数886名、職員数37名。
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1984年(昭和59年) |
児童数1286名、職員数52名、この年が一番大きかった。
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1989年(平成元年) |
児童数980名、職員数43名、航空写真をとりました。
学校の横で、佐原インターの工事が始まる。
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1990年(平成2年) |
横浜横須賀道路、衣笠〜佐原IC間開通、校舎の横は高速道路。児童数930名、職員数43名。
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2000年(平成12年) |
児童数655名、職員数38名
大矢部小学校の玄関、いつも、花がさいています。
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